別冊ノーサイド|手のひらで農業とくらしを結ぶ 和田政幸|WASEDABOOK










































ご実家では農業を営んでいるそうですね。

実家は横浜の南部にあり、藤沢市との境になっている川の近くで、わりとまだ田畑が残っている地域です。

うちでは主にサツマイモやジャガイモ、里芋などを出荷用に作っています。それと自給用にはお米や野菜全般、タケノコや梅、柿なども採れます。

少年時代の農業の思い出について教えてください。

私が中学ぐらいの時分までは家のすぐ前に田んぼが何枚かあって、小さい頃は稲刈りしてる横で遊んだり手伝ったりした記憶があります。

ここ何年かで田んぼは遊水地に変わりましたが。

あとは畑で芋を掘ったり、掘ってきた芋を家の庭で洗う手伝いや出荷用の段ボール箱を組み立てたり、落花生をもいで袋詰めにしたり、、、。

実は、うちでは夏休みにそれらの作業をするとバイト代がもらえて、その作物の売り上げに応じて、ちょっとした報酬をいただいていました(笑)。

お小遣いではなく、売上に応じた報酬?

ええ、結構、料金体系がしっかりしていまして、時価相場の報酬です(笑)。

一箱組み立てるといくら、豆を一かごもぐと豆の売値の一袋分なんて感じでレートが決まっていて、サッカーを始める小学四年くらいまではせっせと働いていた記憶があります。

まぁ大体駄菓子とかゲームにあっという間に消えていきましたが(笑)。

だから、私の場合は生活の中で両親や祖父母が毎日農業をしていて、父と母が家の前で二人で仕事していたり、ばあちゃんが夕飯前に家の前の畑から野菜をとってきて勝手口からポンと放り込んだりしました。

季節には季節の野菜があって梅干しや干しイモが縁側に干されていたり、周りの農家さんと野菜を交換したり、そんな感じの環境で育ってきました。

町へ出るにも近く、でも生活は緑に囲まれて、今思い返すといい環境ですね。

とくになんの不満もなかった気がします。都合よく、忘れただけかもしれませんが(笑)

大学では国際農業開発を専攻されていますね。

「農」をキーワードに様々な分野から生活や環境にアプローチしていくための勉強をしました。

一般の農学に加えて、熱帯の作物学を学んだり、農村経済学、ジェンダー論なども授業にありました。

その頃の流行で、環境保全型農業と、参加型農村開発、地域循環型社会モデルの構築といった分野を幅広く学びました。

その国、その地域の文化、慣習、宗教、政治、国際状況など様々な条件に即した協力を考えるにはとても大学の4年間では足りませんでしたね。

ただ、「実学」がモットーの大学で、授業やサークルで農業実習にたくさん通わせていただき、いろんな農家さんへ行けたのが、いちばんの収穫でした。

それらを通して、社会のこと、日本のこと、自分の家のことを考え、今の自分の考えの芯みたいなものが形成されたと思っています。

アジアの農業にも実際に触れられましたね。

実際に見てきたのは東南アジアのインドネシアです。
インドネシア語は、まだ少し話せます(笑)。

農村や漁村、山村、エビや魚の養殖池、現地の方の経営する有機農業団体、日本人が指導している有機農場などを見て回りました。

一度だけゴムのプランテーションへも行く機会があったのですが、本当に「見渡す限り」なんですよね。

そのゴムのプランテーションの光景は、とくに印象に残っています。なかなか日本ではお目にかかれない景色ですよね。

印象に残っていることは?

色んな所へ行きましたが、基本的に農業と生活の距離が近い感じがしました。

やっぱり農家の数は多いですし、流通もまとまったシステムはまだなかったので行商みたいな人がたくさんいました。

どこの町へ行っても市場があって、実感としては知りませんが、なにか、一昔前の日本の暮らしも似たような感じだったのではないかと思いました。

でも、同時に、農薬化学肥料で土地が疲弊していたり、農家が金策に追われていたり、若者は農業離れが進んでいるようでした。

こういった点も、やっぱり日本と似たような問題や課題を多く抱えているのだと痛感しました。

そういった問題意識が、たとえば有機農業を志す人たちが少しずつ増えている原因になっていると、その時、感じた印象でした。

おむすび屋を始められたきかっけについて、教えてください。

もともとは勤めていたレストランで新規におむすび屋をプロデュースすることになり、開店後3か月ごろに神田にあった一号店に配属になりました。

その後、3年くらい神田店で働き、程なく二号店としてオープンした早稲田店に異動となりました。

色々あった結果、2010年の夏ごろから私個人で経営面も含めて独立して運営するようになりました。

どんな想いで店を営んでいますか?

基本的には、お店のコンセプト、「いのちの田んぼを守ってくれている農家を応援する、買い支えていく」をメインとしています。

これに、私個人の希望として実家や大学時代の先輩、同期とのつながりを活かして、作る人の見える食べものをお届けする店をやっていきたいと思って始めました。

当時はほぼ勢いで決めた感がありますが、食べものに関わっていく、魅力的な農家さん達を応援していく、家族や友人、子ども達に食べさせたい食文化を残していく、自分の感性を活かして生きていく、そんな想いがありました。

そのためにおむすび屋ってなんだか丁度良いような気がしたんですよね。

それに、わりかし不器用な自分でも、おむすびなら「お、意外とうまくできるじゃん」と。(笑)

できることからもうちょっと、もうちょっと、と少しずつ進んで、気が付くと、今に至っています。

「いのちの田んぼ」というのは?

もともとこのお店はメダカのがっこうのアンテナショップ的な位置づけで作られていました。

今もお店で扱うお米はメダカのがっこうの応援する農家さんのお米だけを使っています。

メダカのがっこうでは年に何度も田んぼへ赴き、田植えや草取りをお手伝いするだけでなく、定期的に田んぼの生態系調査をしてどれだけこのいのちの田んぼにお金で測れない価値があるかを確かめています。

また、この農法の普及だけでなく、日本の伝統食の大切さを広め、自分たち自身でもその智恵を習得できるように講座を開催したりしています。

活動に関しては詳しくはメダカのがっこうのホームページをご参照ください。

なぜ今、無農薬、無化学肥料ですか?

食の乱れが多くの病気を生み出しています。癌や生活習慣病だけでなく、不妊やうつなどの精神疾患も砂糖や農薬との関係が指摘されています。

まさに、“You’re what you eat”で、健康に明るく生きていくために、健康的な食べものは欠かせません。

ここ100年くらいで急激に社会は変化してきて、今もどんどん変わっていっています。

でも人間の身体はそんなにすぐには変わらないはずです。

だから今までご先祖様たちが延々と食べてきたものたち、それらを基準として持っていないといけないのかなと。

「今、なぜ?」というよりは、いつの時代もスタンダードとして、本来の味、栄養、旬がわかる農薬や化学肥料を使わない農業は大切だと思っています。

毎日、作るおむすびの米は農家の顔が見える米です。

農家さんたちが一生懸命工夫されている種の選び方、蒔く時期、畝の立て方、作目の組みたて方など、その土地、もっと言えばその畑、その土にあわせたやり方、まさしく風土にあわせた農法というのは教科書にないとても貴重な智恵だと思います。

もともと大学時代から環境保全型の農業には興味とあこがれがあり、何か所か実習に行かせてもらっていました。

農家さんたちは皆、魅力的な方たちでしたし、野菜は美味しいし、いろんな工夫があったりして、とてもいい経験でした。

それで何度か自分でやることも考えましたが、なんとなく性格的に向かないかなと思いまして(笑)。それなら別の形で応援していきたいなと。

だからうちのお店ではできる範囲でそういった農家さんたちとつながっていきたいなと思っています。

その想いが無添加・伝統製法のおむすび屋になった?

なんだかそう書くとすごいお店みたいですが(笑)、自分の性格的にシンプルが好きなんです。

余計なものはいらないし、そうすると昔の人が毎日食べていた智恵の詰まった料理に行きつく。自分が毎日食べたいもの、親に食べさせてもらってきたもの、子どもに食べさせてあげたいものを考えたら、特別ではないと思っています。

添加物があまりに増えて、感覚がマヒしてきていますけど、積もり積もってすごい量を摂取しているので、やっぱり見過ごせないです。それなのに中々無添加素材にこだわった飲食店は東京ではあまりありません。だから日常的にこういう料理が食べれるお店はあったほうがいいのかなと思っています。

それに、無農薬の話とも重なりますが、添加物を使わない昔ながらの作り方にはどんな工夫があるか、昔の人たちが考え抜いた智恵、素直にすごいな~と思います。基本的にそういう職人芸みたいなものに弱いんでしょうね。すごいな、かっこいいなという気持ちが一番強い気がします。

おむすびを握るコツを教えてください。


「握るんじゃねえ、結ぶんだ!」
私の大学の先輩はこう言っていましたが、まさにその通り。

指で覆うように握りこんでしまうのではなく、手のひらと手のひらを使って米の粒と粒とを結んであげる感覚でいつも作るようにしています。

それには如何に余分な力を抜くか。肩の力を抜いて、笑いながら結ぶくらいがちょうどいいかと。

それに少しテクニック的なことを付け加えれば、水加減はすこし少な目にして、炊き上がりにはきちんとご飯を切り余計な水分を飛ばすこと、冷たい水でしっかりと浸水することなど事前の準備には気を配ります。

お店のメニューはどんなふうに作っていきますか?


菜をたっぷり入れたお味噌汁は基本的に年中同じように作ります。

とにかく、味噌(本物の味噌にかぎります!)は毎日食べろと野草料理研究家の若杉友子さんも言っておられますし、野菜の栄養もたっぷりなのでこちらは定番として作り続けています。

その変わり、おむすびは季節の素材を使ったり、いろんな試作をして毎日楽しめるよう工夫しています。

コンビニさんのメニューも参考にして、これを無添加でも作れるかなとか私も楽しんで色々試しています。

お惣菜もほぼ毎週農家さんから季節の野菜を直接、送っていただいています。それで、届いた野菜を見て献立を考えています。

料理経験がまだ少ないのでシンプルな調理方が多いのですが、日々精進しながら頑張っています。

お店を経営する苦労は?

小さいお店ですが、きちんと管理して日々営業していくのは神経を使います。

自分で決めて判断していくことが醍醐味ですが、それゆえ、判断に迷い悩みこむこともしばしば。

今はまだ一喜一憂しながら皆様に育てていただいている最中です。

お店を経営していて、嬉しい話は?


一番はやはりたくさんの方に来ていただいてたくさん召し上がっていただければそれが一番うれしいです。

それと馴染みの方に話しかけていただいたり、お友達に紹介していただいたり、皆様とご縁がつながっていくようでうれしいです。

また、去年息子が生まれたこともあり、小さいお子様たちがおむすびやお味噌汁を食べている姿はなんともうれしいものです。

小さな彼らに喜んで食べてもらえるように頑張りたいなといつも思います。

将来の夢は?


東京農大OBとして、また農家の子せがれとして、もっと農業とくらしをつないでいきたいと思っています。

また、インドネシアでしてきた様々な経験もいずれなにかとつなげていきたいと思います。

それと、まだまだ自分の店もおぼつかないのであれですが、もっとお店の経営を整理して、こういったお店をやりたいと言ってくれる方とつながっていきたいですね。

こんなお店がもっといろんなところに増えてくれたら自分たちも食べるところに困らないし、同じようなことを大事にする仲間が増えて、家族でゆっくり食事を楽しむ時間でも持てたらかなり幸せですね。





和田 政幸 わだまさゆき
東京農業大学国際食糧情報学部国際農業開発学科卒業
卒業後、青年海外協力隊短期派遣ボランティアとしてインドネシア共和国スラウェシ島で調査活動に従事。
帰国後神奈川県藤沢市のオーガニックカフェに就職、半年後おむすび茶屋神田神保町店に異動。3年間店長を務めたのち早稲田店へ。2010年夏から経営的に独立、現在に至る。
調理師免許取得。


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